2019.12.19
完璧なモニター(スピーカー)環境を作る、これは音楽制作を行う人にとって最も重要な課題であり、かつなかなか叶えにくいものの1つでしょう。しかし近年は、Sonarworks Referenceのような「部屋とスピーカーの関係」を測定し、モニタースピーカーから理想的なサウンドを出力するといったプロダクトも登場し、完璧なモニター環境も遠い夢のものではなくなってきました。
では、複数の部屋、あるいは複数のスピーカーで制作をする場合、Sonarworks Referenceのような音場補正ソフトウェアはどのような有用性があるのでしょうか。
作編曲、エンジニアとしてだけでなく、弦楽器や鍵盤楽器を巧みに操る音楽家、那須 仁氏。ここ数年は様々な場所でレコーディングを行い、そのままミキシング機会も多く、「ミュージシャン」と「エンジニア」のマインドセットとモニター環境の切り替えが日常的に必要だという。
那須氏は多数の楽器をストックするご自宅の作業スペースと、レコーディングやミキシングを行う外部スタジオを行き来する日々。そこで、二つのルーム環境の測定とその効果がいかなるものかを伺った。
自宅の作業スペースにて
MI
那須さんは以前から作編曲だけでなく、エンジニア、そして楽器のマルチプレイヤーとしても幅広く活動されていらっしゃいますが、最近はどのような活動を?
那須 仁(以下 那須)
ここ2年ほどは演奏よりも作編曲とエンジニアの仕事が多いですね。テレビ局からの作曲依頼や、他のアーティストさんのレコーディングなども行なっています。なので色々なところでレコーディングをするのですが、当然ながらモニター環境が全然違う。例えばレコーディングのときなんかは気持ちいい音圧も感じながら演奏したいから、ちょっと大きめの音量でワイワイ盛り上がりながら(スピーカーを気にせず)録っちゃうんだけど、それを持ち帰って家で聞き直すと、思ったようなダイナミクスが録れていなくて平たい音になってしまったりする。こうなると、ミックスの段階で苦労するんですよ。
MI
制作やレコーディングのときのテンションはとても大事ですよね。ミュージシャンでエンジニアリングもされる方ならではの悩みかもしれません。
那須
さらに自宅の場合はきちんとしたウーファーもないから、低域を出しすぎた状態で作業をしてしまう。
MI
その状態で作られたものを他の環境で聞いてみると、出過ぎている低域にガッカリしますよね。
那須
今や様々な場所...スタジオだけじゃなく、自宅のような場所であったり、音響的に整備されていない場所でもレコーディングやミックスは可能になったけど、当然ながら場所によってスピーカーも鳴り方も違うので、自分の耳の「基準」をどこにおくべきなのか、少し心配や悩みを感じていたんです。
MI
録音やミックスだけというなら愛用のヘッドフォンを持参するということもできますが、那須さんはプレイヤーであったり作編曲家という立場もあるから、その悩みもより深かったのではないでしょうか。
那須
そうですね。そんなタイミングでSonarworks Referenceの存在を知りました。レコーディングの時にはテンション優先、ミックスの時にはもっと冷静に。これをプラグインのオン・オフでできて、自分自身のマインドセットに寄り添ってくれそうだなと。また、初めて使うスタジオのモニターでも「慣れた」状態でミックスできるようになるのではないかと思って、興味を持ったんです。
MI
まずは那須さんが普段生活もされているご自宅の作業スペースから、早速計測をしてみました。ここにはたくさんの鍵盤、弦楽器もあり、モニタースピーカーにはFostexのNF-1Aが設置されていますね。早速計測をしてみましょう。
那須
この計測アプリケーションは賢いなぁ!マイクの位置をアプリケーションが把握してくれていて、ほとんどマウスに触ることなく終わってしまった。
Reference Measurementでは画面にマイクの測定位置が逐次示され、マウス操作は不要だ
MI
スピーカーから常に距離確認用のシグナルを出しているので、マイクを持ったまま指定された場所に移動するだけでOKなのです。だいたい15分もあれば、計測は完了します。
MI
このような計測結果となりました。
那須
NF-1Aのカタログスペックではローエンドが50Hzまで再生できるはずなのに、僕の部屋ではその通りに再生されず150Hz以下がカットされているような感じだ。
MI
モニタースピーカーの「本領」を発揮できていない状態とも言えますね。
那須
左右の特性も違っている。左側のスピーカーのすぐ近くにキーボードケースがあるからかもしれないですね。
MI
リスニング用のスピーカーは「なるべく広い範囲に、なるべく平均的にいい音を」という構造かもしれませんが、モニタースピーカーは「スウィートスポットに向けて、可能な限りフラットな特性のまま届ける」という構造です。スピーカー周りの壁、物に影響を受けやすいものだと分かりますね。
那須
このスピーカーをスタジオとか店頭で初めて聞いたとき、下から上までバランスが良いなと感じて導入したんですが、自宅のここで使ってみるとそのバランスの良さを感じられなくなってしまって。特にローが薄っぺらいなと思って後にサブウーファーとかを導入してみたんだけど、Reference で補正された音を聞いてみるとサブウーファーが必要ない。この補正された音は、整備されたスタジオで聞いている音そのものだよ。もう、自分のミックスをスピーカーのせいにはできなくなるね。
MI
このような補正ツールは、ときに「スピーカーの個性を殺す」と言われることもあります。
那須
そうは感じないな。これはNF-1Aの特徴、特性が正しく出ている音だと思う。一個一個の音の輪郭もクリアになって見えやすくなったし、レスポンスが良くなってスピード感の判断も正しくできそう。立体感も掴みやすいです。
MI
ヘッドフォンでも同様の補正ができます。那須さんがお持ちのSONY MDR-900STを補正したものを聞いてみてください。
那須
これもすごい!スピーカーで感じていたバランスがそのままヘッドフォンで聞こえる。本当にすごいな。エアー感や奥行きも判断しやすいから、コンプのセレクトとか掛け具合が変わるね。これなら夜中に爆音で作業できなくても、ヘッドフォンで思う通りのミックスができる。楽しくて延々とミックス作業をしちゃいそう(笑)
MI
製品名が表す通り、スピーカーであってもヘッドフォンであっても「1つの基準(リファレンス)」を提供することがこの製品の特徴であるともいえます。那須さんはこのご自宅のスペース以外にもスタジオがあるとのことですが、せっかくなのでそちらのスタジオでも同じように計測をしてみましょう。
代々木公園近くのスタジオにて
MI
場所を移して同様に測定を行いました。こちらのスタジオの計測結果を見ると、中低域から高域にかけては比較的フラットであるようにも見えますが、低域側は左右での特性が違うように見受けられますね。
那須
ここは自宅よりも音響的な設備は整っていて、音量もそこそこ出せる環境なんだけど、実はこの測定結果にもある通り低域の判断が難しいスタジオで、自宅環境とは違って低域が「暴れる」ように聞こえていた。なので今までは結局「自宅に持ち帰ってじっくり」作業をせざるを得なかった。だけど、Referenceで補正された状態を聞くと「これならこのスタジオで完結できる」と思えるね。
MI
ご自宅とは違うスピーカーですが、「これならここでミックスできるな」と感じられますか?
那須
聴感、体感する部分は自宅の環境と同じく「判断がしやすい」と思わせてくれるけど、明らかにスピーカーの違いは分かるもんね。個性を潰していない。これはミックスしやすいです。
MI
Referenceは「部屋とスピーカーの関係をベストにする」ということを目指しています。周波数特性の補正も行いますが、置かれている左右の違いも補正してくれる部分がそう感じさせるのかもしれません。
那須
昔、諸先輩たちが色々とミックスのテクニックを目の前で教えてくれたことがあったんだけど、特に分からなかったのがディレイやリバーブなんかの空間系の僅かな違いについてだった。けど、Referenceで補正された状態で聞けば違いが明白だ。あの頃にこういった「正しい環境」があれば、もっと吸収が早かったかもしれないな。
MI
那須さんには2つの場所の補正と、ヘッドフォンの補正を試して頂きましたが、総評をいただけますか?
那須
場所が変われば音が変わる、スピーカーが違えば音が変わるのは仕方のないことだけど、こうして1つの基準を手軽に得られるようになれば、どこへ行ってもミックスをすることに困らない。また、Referenceがかかった状態だと音量を大きくしたときと小さくしたときの印象が変わらないのもすごいと思いました。これはミックスのときに重要です。
計測が手軽なのもいい。これなら移動先でパッと設定することもできる。導入したばかりだけど、色々な現場で試したいと思います。さっきも言ったけど、これがあればもう誰にもどこにも言い訳できないな!っていうのが一番大きな感想かな。
MI
ありがとうございました!
SoundID Reference