2022.04.13
Text by 清水修平(ROCK ON PRO)
2021 年6 月、Apple が空間オーディオの配信をスタートした。そのフォーマットとして採用されているはご存知の通りでDolby Atmosである。以前より、Dolby Atmos Musicというものはもちろん存在していたが、この空間オーディオの配信開始というニュースを皮切りにDolby Atmos への注目度は一気に高まった。弊社でもシステム導入や制作についてのご相談なども急増したように感じられる。今回はこの状況下でDolby Atmos 制作環境を2021 年9 月に導入された株式会社 SureBiz を訪問しお話を伺った。
SureBiz は楽曲制作をワンストップで請け負うことにできる音楽制作会社。複数の作家、エンジニアが所属しており、作曲、編曲、レコーディング、ミキシング、マスタリングをすべて行えるのが特長だ。都心からもほど近い洗足池にCrystal Soundと銘打たれたスタジオを所有し、そのスタジオで制作からミキシング、マスタリングまで対応している。今回はそのCrystal Sound へDolby Atmos Mixing が行えるシステムが導入された。2020 年の後半よりDolby Atmos でのミキシングがどのようなものか検討を進めていたそうだが、Apple の空間オーディオがスタートしたことでDolby Atmos需要が高まるDolby Atmos 環境をによるミックスの依頼が増えたこと、さらなる普及が予測されることからシステム導入を決断されたという。
我々でも各制作会社のお客様からDolbyAtmos に対してのお問合せを多くいただいている状況ではあるが、現状ではヘッドフォンなどで作業したものを、Dolby Atmos 環境のあるMA スタジオ等で仕上げるというようなワークフローが多いようだ。その中で、SureBiz のような楽曲制作を行っている会社のスタジオにDolby Atmos 環境が導入されるということは、制作スキームを一歩前進させる大きく意味のあることではないだろうか。
まず、既存のスタジオへDolby Atmosのシステムを導入する際にネックになるのは天井スピーカーの設置だろう。Crystal Sound は天井高2500mmとそこまで高くはない。そこで、できるだけハイトスピーカーとの距離を取りつつ、Dolby が出している認証範囲内に収まるようにスピーカーの位置を指定させていただいた。L,C,R までの距離は130cm、サイドとリアのスピーカーは175cm にスタンド立てで設置されている。スタジオ施工についてはジーハ防音設計株式会社によるものだ。その際に課題となったのがスタジオのデザインを損なわずにスピーカーを設置できるようにすること。打ち合わせを重ねて、デザイン、コストも考慮し、天井に板のラインを2 本作り、そこにスピーカーを設置できるようにして全体のデザインバランスを調和させている。電源ボックス、通線用モールなど黒に統一し、できるだけその存在が意識されないように工夫されている。
Dolby Atmos Music の制作ではDAWとRenderer を同一Mac 内で立ち上げて制作することも可能だ。ただし、そのような形にするとCPU の負荷が重くマシンスペックを必要とする。本スタジオのエンジニアであるmurozo 氏は普段からMacBook Pro を持ち歩き作業されており、そこにRenderer を入れて作業することはできなくはないのだが、やはり動作的に限界を感じていた。そのためCrystal Sound にシステムを導入されるにあたっては、そのCPU 負荷を分散するべくRenderer は別のMac にて動作させるようシステム設計をした。Renderer 側はFocusrite REDNET PCIeR、Red 16LineをI/O としている。
Renderer のI/O セットアップではREDNET PCIeR がInput、Red 16Line がOutput に指定される。Pro Tools が立ち上がるMacBook Pro のI/O にはDigiface Dante を選択している。ProTools 2021.7 からNative でのI/O 数が64ch に拡張されたので、このシステムでは64ch のMixing ができるシステムとなる。ちなみに、Pro Tools 側をHDX2、MTRX を導入することにより128ch のフルスペックまで対応することも可能だが、この仕様はコスト的に見てもハードルが高い。今回の64ch 仕様は導入コストを抑えつつ要件を満たした形として、これからの導入を検討するユーザーには是非お勧めしたいプランだ。
モニターコントロールにはREDNET R1 とRed 16Line の組み合わせを採用している。これがまた優秀だ。Source としてRenderer から7.1.4ch、Apple TV での空間オーディオ作品試聴用の7.1.4chを切り替えながら作業ができるようになっている。また、Rendererからバイノーラル変換された信号をHP OUT に送っているため、ヘッドフォンを着ければすぐにバイノーラルのチェックもできる。スピーカーについてはGENELEC 8330AP と7360A が使われており、補正についてはGLM での補正にて調整している。マルチチャンネルを行う際は補正をどこで行うか、というポイントが課題になるが、GLM はやはりコストパフォーマンスに優れている。今回のFocusrite Red シリーズ、GENELEC の組み合わせはDolbyAtmos 導入を検討されている方にベストマッチとも言える組み合わせと言えるだろう。
実際にDolby Atmos システムを導入されてからの様子についてどのような印象を持っているかも伺ってみたところ、Apple TV で空間オーディオ作品を聴きながら、REDNET R1 で各スピーカーをSolo にしてみて、その定位にどんな音が入っているかなどを研究できるのが便利だというコメントをいただいた。空間オーディオによって音楽の新しい世界がスタートしたわけだが、スタートしたばかりだからこそ様々なクオリティの音源があるという。システムを導入したことにより、スピーカーでDolby Atmos 作品を聴く機会が増え、その中での発見も多くあるようだ。ステレオミックスとは異なり、セオリーがまだ固まっていない世界なので、Mixig を重ねるごとに新しい発見や自身の成長を確認できることがすごく楽しいと語ってくれた。その一例となるが、2Mix のステムからDolby Atmos Mix をする際は、EQ やサチュレーションなどの音作りをした上で配置しないと迫力のあるサウンドにならないなど、数多くの作品に触れて作業を重ねることで、そのノウハウも蓄積されてきているとのことだ。
最後に今後の展望をmurozo 氏に伺ってみた。現状、Dolby Atmos Mixing による音楽制作は黎明期にあり、前述のようにApple Music の空間オーディオでジャンル問わずにリリース曲のチェックを行うと、どの方法論が正しいのか確信が持てないほどの多様さがあり、まだ世界中で戸惑っているエンジニアも多いのではないか、という。その一方で、技術革新に伴って音楽表現が進化することは歴史上明らかなので、Dolby Atmos をはじめとする立体音響技術を活かした表現がこれから益々の進化を遂げることは間違いないとも感じているそうだ。「そんな新しい時代の始まりに少しでも貢献できるように、またアーティストやプロデューサーのニーズに応じて的確なアプローチを提供できるように日々Dolby Atmos の研究を重ね、より多くのリリースに関わっていければと考えています。」と力強いコメントをいただいた。
今後さらなる普及が期待されるDolby Atmos。世界が同じスタートラインに立った状況で、どのような作品が今後出てくるのか。ワールドワイドで拡がるムーブメントの中で、いち早くシステムを導入し研鑽を積み重ねているSureBiz / Crystal Sound からも新たな表現のセオリーやノウハウが数多く見出されていくはずである。そしてそこからどのようなサウンドが生まれてくるのか、進化した音楽表現の登場に期待していきたい。
Media Integration 発行:Proceed Magazine 2021-2022 より転載