2018.06.14
インディペンデントなアーティストがNugen Audioのプラグインを使って、DIYにミックス~マスタリングをする連載もいよいよ最終回です。前回まではマスタリングとは「完成の儀式」であり、その下準備の話を書いてきました。今回はその実践編となるわけですが、その前に最近のストリーミングサービス事情について触れたいと思います。
先日、ある音楽配信事業者の方と話をする機会があったのですが、海外、特にアジア圏では日本以上にSpotifyやApple Musicなど音楽配信のストリーミングサービスが急激な伸びをみせています。月額1000円程度のサブスクリプションで一生かかっても聴ききれない大量のライブラリーにアクセス出来る訳ですから、これだけ普及すると音楽の聴かれ方そのものが変わってきます。
特に音楽ブログやメディアなどのキュレーターが、テーマ毎に作成したプレイリストを聴くという再生方法が主になってきており、実際にSpotifyで最も人気のあるカテゴリーは寝る時のBGMに最適な”Sleep”だったりします。こうした流れには賛否両論あると思いますが、「メディアを売る」のではなく「楽曲を聴いて貰う」ことがアーティストの収益になってきているのは面白い流れだと思います。
さて、これがマスタリングと何の関係があるかというと、ストリーミング配信では音声が圧縮され、音量(ラウドネス)が均一化されることにあります。YouTubeやiTunesであればAACになり、SpotifyはOGGになります。マスタリングした音素材を配信業者に納品する時は.wavや.aif形式でアップロードするのですが、その先どういう処理がなされるかは各配信プラットフォーム次第なのです。
そのため、各プラットフォーム毎による最適なラウドネス(音圧)や圧縮音声の特性までを把握することが、ストリーミング時代のマスタリングのキモと言えます。ここで重要なのは、圧縮音声はラウドネスが高いオーディオ素材を扱うには不向きで、不適切なマスターだとエンコード時にインターサンプルピークによる歪みが発生しやすいことです。そこで役立つのがNugen AudioのMasterCheck Pro。このプラグインはラウドネスを計測して各プラットフォームに適したラウドネスに合わせてくれます。また、音声に圧縮がかかる前と後の違いをモニターすることも出来ます。そのプラットフォームも、プリセットの形で”YouTube”や”Spotify”,”TV Japan”など様々収録されており、主要な配信プラットフォームはおおよそ網羅しているといえるでしょう。
さて、きちんとした2mixが書き出せたらまずは音作りするプリマスタリング作業に入ります。上の図は僕のスタジオのマスタリング用セットアップですが、音作りはアウトボードで行い、DAWはやっぱりAbleton Liveを使います。んんん?と思う方もいるかもしれませんが、プリマスタリングの段階であれば機能的にはLiveでも十分で、使い慣れたDAWだけに作業のストレスも少ないのです。
なお、アウトボードでEQ・コンプの音作りするのは「儀式やっている感」のためでもありますが、マキシマイザーやノイズ除去等はプラグインを使っています。それは単純にコストが安く、多少はリコールが利くメリットがあります。
また、サンプルレートの変更など一部の処理はSteinberg WaveLabなどマスタリング専用のDAWを使っています。Liveでもサンプルレートを変更できますが、再生時の音が劣化するので推奨はされていません。この辺の技術情報に興味ある方はLiveマニュアルの32.3 オーディオファクトシートをご覧ください。
DAW内部の信号の流れとしては、上段のトラック”2mix”に音素材を読み込み、Live内蔵の”External Audio Effect”デバイスでアウトボードのEQとコンプにインサートします。このデバイスは、Liveの音声信号を外部のアウトボードにルーティングさせるデバイスで、入出力の音量やドライ/ウェットのバランスを調節できる便利なデバイスです。また、アウトボードに通す前にVSTプラグインのmda TestToneをインサートすることで、テスト・トーンを出せるようにしています。
アウトボードからiZotope OzoneとISL
2のプラグインを通った後のサウンドをモニターしながら作業するのは、このスクリーンショットのように、アウトボードを通った後のサウンドはマスターアウトから出さないよう”Send
Only”にして、下段のトラック”Mastered”のインプットは上段の”2mix”、モニターを”In”にします。マスタリング作業をする時、どこから手を付けるのかは人によって違うと思いますが、僕はアウトボードでの音作りがある程度出来たら、プラグインのマキシマイザーを挿して音量=ラウドネスを稼ぎます。この時にLiveのマスタートラックにMasterCheck
Proをインサートしてラウドネスを計測します。
大体どれくらいのラウドネスにすればよいかあたりを掴めたら、そこから気になるピークを削ったりして微調整をしていきます。
さて、このMastercheck Proのウインドウを見ると、見慣れない単位や用語が並び難しい印象を受けるかもしれませんが、使い方は簡単です。中央上にPSRとLKFSという2つのパラメーターが大きく表示されています。この2つがラウドネス調節のキモとなる訳ですが、PSRが現在マスタリングしている曲の音量の最大と最小の差を示すダイナミックレンジで、LKFSがラウドネスを示しています。
各配信プラットフォームに載せる時は、LKFSの値が各配信プラットフォームの指定した値(Spotifyの場合は-14LKFS)以下に合わせるのが好ましいとされています。曲中で音量が大きい部分を通して再生したら、LKFSの下にある”Offset
to match”を押すと、LKFSの値に応じて自動的に音量が最適化され
ます。
ここで大きく音量が下がってしまうと言うことは、その前の段階でラウドになりすぎていることを意味します。MasterCheck Proはマキシマイザーとは違い単に音量を調節するだけなので、マキシマイザーの音圧を下げLKFSの値を規定値以内に収めた方が良い仕上がりになるでしょう。
また、場合によっては音量が上がってレベルオーバーすることがあるかもしれません。そういう時はISL2を後段にインサートし、レベルオーバーを防ぎましょう。
コーデックによる音質変化をモニタリングするには、画面中央の下部にあるENCODEセクションに移ります。ここで各プラットフォームで採用されているコーデックでどのように音質が変化するか聴くことができます。赤色のMopnitorボタンを押して、下にあるコーデックのリストを選ぶと各プラットフォームに応じた圧縮後の音声をモニターできます。
この音質変化を追い込むのはオーディオマニア的な領域ですが、ここでの音質変化がなるべく少なくなると予期せぬ仕上がりになりにくいと言えます。というのも音声に圧縮をかける前後で音質変化が大きいと言うことは、その分どこかで歪みやノイズを生む可能性があるからです。
さて、こうやってマスタリングしてみると、CD時代のラウドネスを稼ぐマスタリングに慣れた方は「この程度でいいの?」と不安に思うかも知れません。しかし、配信される時は納品したWAVデータがそのまま再生されるわけではありません。各プラットフォーム毎に音声が圧縮されたりラウドネスが調整されることを想定すると、あまりここでラウドネスを上げすぎてしまうと、その後の過程でインタサンプルピークが発生したり、予期せぬサウンドに繋がる訳です。
マスタリングの音作りができたらトラック”Mastered”にEQとコンプを通った音を録音し、その後バウンスして完了です。このやり方だと、録音されたデータは音圧やらノイズ除去などプラグインを通る前の段階なので、あとからプラグイン部分だけはやり直しが利きます。儀式という割には潔くないですが...笑
さて、ここまでNugen Audioのプラグインを使いながらマスタリングしてきましたが、いかがだったでしょうか?マスタリングなどこうしたエンジニア的作業は、時として自分が正しい処理をしているか客観的に見えなくなることがあります。その時にNugen Audioのプラグインが指標となるツールとして役立つでしょう。また、動画など不慣れなフォーマット用にマスタリングする時にも使えると思います。
さて、その一方で「じゃあクラブでかかっている曲はなんであんなに音圧を稼いでいるの?」と思う方もいるでしょう。良い質問です。以前僕がベルリンのクラブに行った時、火災報知器が動作して音が止まったことがありました(ベルリンでは火災報知器が鳴ると警察の立ち会い検査を受けるまで音を出せないそうです)。
その時に気付いたのは、客の話し声が日本のクラブと比べてとてもうるさいこと。ただでさえクラブミュージックはパンチのある音が好まれますが、この騒音の中でパンチを出すにはラウドなサウンドでないと埋もれてしまいます。クラブミュージックの音圧はこうした現場の中で機能するためのもので、これも一種のプラットフォームに合わせたマスタリングと言えるのではないでしょうか。
さて、最後に宣伝です。6/22(金)に僕がオーガナイズしているAbleton好きが集うイベント=Ableton MeetupTokyo の19回目が、恵比寿リキッドルーム2階のTime Out Cafe&Dinerで開催されます。今回はトラックメーカーの方で苦手な方が多そうな「作曲テクニック」をなるべく簡単に紹介する企画です。コード進行をLiveのMIDIエフェクトを使って簡単に付けたり、オーディオ素材や声などを使って考えるよりも手を動かして作曲していくプレゼンテーションがあります。また、井上薫さんなど豪華なゲストを招いて、曲を作る時にどこのパートからどうやって作り始めるのか意見交換するパネルディスカッションもありますので、興味のある方はぜひお越し下さい。
それでは連載を最後までお読み頂きありがとうございました!
Ableton Meetup Tokyo Vol.19 Composition Technique
日時:2018年6月22日 午後6時開場
会場:TimeOut Cafe & Diner http://www.timeoutcafe.jp
料金:2000円 with 1 drink/学生は無料(入り口で学生証を提示)
出演者
Presenters:
Yoshinori Saito (Ableton認定トレーナー)
「手軽で簡単。コード進行生成術!」
Utae
「衝動と感覚!簡単素材作曲」
Panel Discussion
「曲作り、どこから始める?」
モデレーター:CD HATA
パネリスト:Kaoru Inoue, 34423 (Miyoshi Fumi)
MC : Koyas & CD HATA
DJ : 蜻蛉-Tonbo-, A Boy Named Hiro
FBイベントページ
https://www.facebook.com/events/1241288
Artist, Producer, psymatics label founder, Ableton Certified Trainer, Ableton Meetup Tokyo founder, LANDR Contents Adapter
Koyasは東京を中心に活動しているアーティスト・プロデューサーでエレクトロニックなライブ・アーティスト向けレーベル”psymatics”を運営している。
彼はDJ Yogurtと共に数々の作品をリリースし、Fuji Rock Festivalをはじめとする数々の舞台に出演、曽我部恵一BAND/奇妙礼太郎/ケンイシイ等幅広いジャンルのリミックスを手がけた。
その後2013年に電子音楽における演奏の要素にフォーカスしたレーベル、”psymatics”を設立し、翌年にはCD HATA(from Dachambo)との即興セッションユニットで作品を発表。psymaticsレーベルは、2015年にイギリスの伝説とも言えるアーティストThe Irresistible ForceのリミックスEP ”Higher State of Mind”を12インチヴァイナル限定でリリースした。
彼はそうしたアーティスト活動の一方で音楽機材や制作に深い造詣を持ち、雑誌やwebメディアに音楽制作や機材についての記事を寄稿・翻訳するなど文化的な活動もしている。2014年に日本人として初のAbleton認定トレーナーの一人となり、東京のAbletonユーザーグループ”Ableton Meetup Tokyo”の発起人として定期的にミートアップを開催している。
psymatics
http://psymatics.net/
Ableton Meetup Tokyo
https://www.facebook.com/AbletonMeetupTokyo/
ISL 2 | True Peak Limiter
MasterCheck Pro