"長らくここで作業をしているから、それを頭の中で補正する自分なりの方法論も分かっているけどね。でも、あらかじめ正しい音に聴こえていれば、それに超した事はないよ"
今年デビュー10周年を迎えたCOILとしての活動の他、エンジニアとしても高い評価を得ている佐藤洋介 氏のスタジオへ、音場補正プラグインIK Multimedia | ARC Systemを導入。その一部始終をインタビュー形式にて取材しました。
取材日:2008年3月

IK Multimedia | ARC System。VST、AU、RTASプラグインとしてDAW上で使用する音場補正プラグイン。パッケージには解析ソフトウェアと補正プラグイン、専用マイクが付属する。
佐藤さん、本日はよろしくお願いします。
こちらこそよろしく。雑誌で見て気になっていたんだよね、このARC System。プラグインなのにどうして「部屋」の補正ができるのか、とかね。もちろんどれほどの効果なのかも気になるけど、そこは…もちろん凄いんだよね(ニヤリと)
もちろん(笑)。きっと気に入っていただけると思いますよ。では、さっそくこの部屋の測定から始めさせてもらいます。その前に、いくつか質問をさせてください。このプライベートスタジオは、なにか特別なルームチューニングをしていますか?
実はほとんど何もしていないんだ。もちろん最低限の事…スピーカーの下にインシュレーターを挟むとか、スウィートスポットでモニタリングできるようにスピーカーの幅を調節するとか、そういう事くらいはしているけど。部屋を改造したり、吸音材を入れたりとか、そういう事はほとんどしていない。
なるほど、でも佐藤さんはここでミックス作業も本格的に行ってるんですよね?
そうだね。もうここの作業部屋を使い始めて長いから、それなりに部屋の"癖"みたいなのもわかってきたし、きちんと設備の整ったスタジオを併用する事も多くなってきたから、この部屋でこう聞こえていれば大丈夫、っていう誤差も分かるようになってきた。
それにこのスタジオには僕たちだけじゃなくて、たくさんのミュージシャンが集ってくれる場所だから、音響特性を優先して部屋を改造するとか、ガチガチに吸音材を仕込むとか、そういう事をしたくないんだよね。どちらかというと住み心地を優先したい。居住しているわけではないけど(笑)。でも音楽をやる場所なんだからさ、気分よくいられる空間のほうがいいに決まってるよね。

コンソールの左側のスピーカーは、後/左側の壁までの距離が近い。スピーカーはYAMAHA NS-10MとFostex NF-1。モニタースピーカー下には「最低限の処置」というインシュレーターが確認できる。
ここはたくさんの楽器やヴィンテージエフェクター、アンプがあって、音楽好きにはたまらない空間です。先ほど、この部屋の"癖" という話が出ましたが、具体的にどういう癖が?
この部屋はね、まず分かりやすいところから言うと、ロー(低域)の回り込みが大きいんだよ。
例えばこの(ヤマハ)NS-10M。調整されたスタジオで聴くと、いい意味でモニタースピーカーらしい分かりやすい聴こえ方がするんだけども、この部屋だとすごくローが出て聴こえるんだよね。本当はこんなにローを出すスピーカーじゃないはずなのに。そのためか、この部屋でさっき言ったような "癖" を意識しないでミックスすると、キックとかベースを抑えがちなミックスになっちゃうんだよね。他のところで聴くと…
低域のさみしいミックスになってしまうんですね?
そう。長らくここで作業をしているから、それを頭の中で補正する自分なりの方法論も分かっているけどね。でも、あらかじめ正しい音に聴こえていれば、それに超した事はないよ。ARC Systemはこういうポイントを補正してくれるって事でいいのかな?
まさに、その通りです。
(笑) なんかあれだね、僕の部屋はまさに "実験台" って事だ。

コンソール右側は、もともと押し入れだった部分を解放し、機材を積み上げるスペースになっている。左側に比べてスペースに余裕があり、ARC Systemでもその違いが測定できた。写真には含まれていないが、コンソール下には数々のビンテージエフェクトが積み上げられている。佐藤さんならではの温かい音は、このスタジオにて生まれている。
(笑)すみません…
でも低域の回り込みが大きいのは、一般的な宅録環境だとほとんどがそうなんじゃないかな。スピーカーの左右や背後に余裕をもったセッティングをできる場所って少ないだろうしね。かといってむやみに余裕があればいいって訳でもない。どう?今まで他の場所を計測してみた感じだと。
はい、ほとんどの部屋がそのように計測できました。
だろうね。もちろんちょっとの工夫でだいぶいいところまでできるとは思うけど、限界もあるだろうしね。そうそう、それからこの部屋ならではの問題が一個あるんだ。一言でいうと「パンが振り切れない」というか…
?どういう事でしょう?
これは実際に聴いてみてもらうと分かると思うんだけど、なにかソースを聴いてもらった方がいいな。(といいつつ、セッションファイルを開く佐藤さん)
こういう事なんだけど。(開いたセッションファイルのマスターフェーダーを右、左、右、左と順番にパンを振る佐藤さん)
ほら、右に振り切った時はちゃんと右のスピーカーだけから聴こえるのに、左に振り切ったときは、まだ右のスピーカーに音が残っているように聴こえない?振り切れていない感じがする。
本当ですね。
これは今マスターフェーダーをやっているんだけど、これがミックスの中で個々の楽器となると、結構大変なんだよ。ギターを左45度くらいに振ってるのに、そこまで振り切れて聴こえない、とかね。だからこの部屋でパンを決める作業をするときには、必ずヘッドフォンを併用するようにしているね。おそらく、右側のスピーカーは周囲に多少余裕があるから(スピーカーの右側は押し入れを解放した機材スペース)、そういうポイントも関係しているのかもしれないね。
僕はこの環境に慣れてはいるけれども、直せるものなら直したいよ。かといって、部屋を大げさに改造したり、新しい機材を導入しなくちゃいけないってのは抵抗があるから、そういう意味でもARC Systemの力がどれくらいのものか、楽しみだよ。
では、さっそく解析をさせていただきます。
佐藤さんのご要望で、(ヤマハ)NS-10Mと、(フォステクス)NF-1の両方を解析。また、コンソール前のメインスペースの測定だけでなく、後方に広がるクライアントスペース(?)まで広げたパターンでの測定も行いました。つまり、スピーカー2セット × 2パターン = 4つのプロファイルを測定。さて、佐藤さんの反応やいかに。
こちらが結果になります。 オレンジのラインが測定結果、ホワイトのラインが補正後の結果です。
うわ、これはひどいね。分かってはいたけど、100Hzから200Hzにかけてがこんなに膨らんでしまっていたんだね。それから、各所にディップがあるね。確かに調整してあるスタジオのNS-10Mを聞くと、この部屋との音の違いに違和感を感じていたけど、こうしてグラフにでてくると、納得の結果だね。
こちら(Fostex NF-1)もNS-10Mほどではないにしろ、 60Hzから200Hzまでは激しい結果になってるね。また、ミドルからハイにかけても癖がある。これも予想通りだけど、それにしてもここまでとは…。
聞いてみた印象としては、いかがですか?
うんうん、これは明らかに違うね。"プロだけが分かる違い" というレベルじゃなく、誰が聞いても分かるほどに違う。
今回の測定結果を見てもあらためて思ったけど、このスタジオで作業をしていると、どうしても音がセンターに集中しちゃっている "ように" 聞こえてたんだよ。左右に音を広げているつもりなのに、広がって聞こえない。パンの調節やリバーブで奥行きを出しているつもりなのにそう聞こえないというか。だからこそヘッドフォンを併用した確認や、外部スタジオでの確認を必ずしていたんだけども。
それからローの出方だね。これはもうまるっきり音が違う。ローは上の帯域の音をマスキングしてしまう部分で、ここを正しくミックスできないと上(ハイ)の帯域にも大きな影響を及ぼしてしまう大事なところ。キックとベースの関係が見やすく(聞こえやすく)なるのがいいね。
この状態でローの帯域にステレオのEQをかけるとなると…
正しい結果にはならないよね。よほど部屋の特性を完璧に理解してるのでなければ。いま聞こえているこの音(ARC Systemがかかった音)は、僕が作業する感覚でいえばヘッドフォンの状態に近いですよ。パッとどこに音があるかとか、広がり感が掴みやすい。
それから位相がいい。モノラルでセンター定位の音が、きっちり真ん中に存在している。パンを振っても、この部屋特有の問題が解決できている。EQのかかり方もかなり分かりやすくなるね。
このスタジオは多くの方が集まっての作業も多いとの事なので、コンソール前だけでなく広いエリアで測定したプロファイルも用意しました。こちらの印象はいかがですか?
モニタースピーカーって、ある程度のものを使っている人なら分かると思うんだけど、基本的に(設置に対して)正しいリスニングポイントがあって、そこ以外の場所だと正しい音ではないんだよね。だから、ちょっと違う場所で聞いてみると異様にローが持ち上がったり、逆に引っ込んでしまったり、なんて聞こえることがあるよね?
でも不思議な事に、ARC Systemがかかった状態だと、その違和感がないな。もちろん場所によって少し違いはあるんだけど。大人数でこの部屋で作業してても、意思の疎通を図るのには問題なさそうだ。これは凄いねぇ。
今回は広いエリアで測定しましたが、「コンソール前、コンソール後方」でプロファイルを分けて、切り替えながら使用する事もできますよ。では最後に、ARC Systemの印象をお聞かせください。
最初に話した事と被るけども、この部屋はほとんどルーム・アコースティック的な側面での補正を一切していない部屋で、ただ僕がこの部屋の音に慣れているから作業できていたという部分が大きいんだけども、それにしても補正できるものなら補正したいなとずっと思っていたんだ。それがこんなにも簡単に補正できてしまうという事が驚き。
具体的な作業でいえば、いままで 特にボーカルへのロー/ローミッドの削り方、削り具合(EQ)が分かりずらかったんだ。不要な帯域を削っているつもりなのに、うまくそこが削れてくれないってのが悩みの種だった。
でも今こうしてARC Systemをインサートして聞いてみたら、「なんだ、がっつり削れてるじゃん!、逆に削り過ぎだよこれ!」って分かるよ。もちろん、ボーカルに限らない話だけどもね。(この時、佐藤さんが現在進行中のプロジェクトを素材にARC Systemをテストしていました)
今まではこの「削りすぎた」っていう判断を、いちいちヘッドフォン併用でチェックしていたんだけど、これならスピーカーだけで判別できるね。このARC System、僕個人的にはプロのみならず、ミックスを行う全ての人にオススメしたいね。日本の住宅環境で余裕をもってスピーカーセッティングできるならまだしも、部屋の隅っこの隅っこにセッティングせざるを得ない人、多いんじゃない?
実は私も自宅では同じような状況でして…、以前他でも公開しましたが、私の部屋の測定結果はこんな感じでした。
うわー、これは酷いね(笑)ローも酷いし、ハイなんかもうハイカットされたような状態だね。でも、スピーカーが悪いわけでもないしね。これもやっぱり設置状態の問題なんだろうね。この状態でも補正は感じられた?
はい。他の環境で鳴らしたときに「あれ?」と思う事が少なくなりました。
こういう状態の人は多いと思うんだ。で、僕のように部屋の音に「慣れて」しまう事も不可能ではないけど、今からでも遅くないから正しいモニタリングをできる環境に、耳をならした方が絶対にいいよ。EQの使い方も上手くなると思うな。
佐藤さんは外部スタジオを併用する事も多いでしょうから、そういった『差』をどこでも自分の中で補正できていたのでしょうね。
しばらくはこのARC Systemを使って作業をしてみるよ。この状態でミックスしたものが、外のスタジオでどう聞こえるのか、レポートしないとね。
そうしてもらえると助かります。本日は長い間、ありがとうございました。
ありがとう。
この日は深夜におよぶ測定/試聴になってしまったにも関わらず、お忙しいところお付き合いくださった佐藤さん。測定は私が行ったのですが、最初の測定の時に致命的なミスをしていまして…。最初に聞いたときには「なんかおかしい」という結果に…。
その後、再度お時間をいただいて全ての環境/スピーカーの測定を行い、上記のインタビューをいただく事ができました。COILは今年デビュー10周年。ますますの活躍をお祈りしています!
佐藤 洋介
岡本定義との宅録ユニット、COILとして'98年「天才ヴァガボンド」デビュー。1stアルバム「ROPELAND MUSIC」をはじめ、数々のアルバムを発表。ポップアルバムの名盤として高い評価を受けた1stフルアルバム「ROPELAND MUSIC」に引き続き、「Orange&Blue」(00)、「AUTO REVERSE」(01)、「0.10」(02)、「LOVE」(03)を発表。'04年には自身のレーベル「sandwich records」を設立し、アルバム「CINEMA」(05)を発表。
'05年にはRCサクセションのライブ盤「ラプソディーネイキッド」のミックスではその臨場感溢れる音作りで高い評価を得る。’06年はCOILとして初めて映画『初恋』(主演:宮崎あおい)のサウンドトラックを担当。元ちとせ、杏子、福耳、babamania、長澤知之他への楽曲提供やエンジニアリング、プロデュースも手がけ、精力的に活動中。'08年はCOILデビュー10周年にあたり、7月のセルフカヴァーミニアルバムのリリースを皮切りに、かなりの盛り上がりを予感させる。
Official web site
www.office-augusta.com/coil/