Sound Recording & Mixing Engineer

Jun Tendo

21 Dec 10

さよならヤマハ渋谷店コンサート

「さよならヤマハ渋谷店コンサート」

44年の歴史に感謝を込めて、ミュージシャンが自らコンサートを企画。

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 1966年11月12日、渋谷区道玄坂2-10-7に、ひときわ大きな楽器店「ヤマハ渋谷店」がオープンしました。ヤマハ直営の楽器店としての側面だけではなく、音楽教室/ライブ・ハウス/R&D等も併設し、音楽の情報発信/交流の場として、プロ・アマ問わず、多くの音楽家から愛されて続けて来た場所でもありました。

渋谷店開店前

渋谷店開店前


 そのヤマハ渋谷店が、2010年12月26日を持って44年の歴史に幕を降ろすことになる、と言うニュースを知った数多くの人たちの中の1人、ミュージシャンの松武 秀樹がTwitter上で「渋谷店にお世話になったミュージシャンのみんな、渋谷店へのお礼にコンサートをやろう!」という掛け声のもと、まずはTwitterを通じてミュージシャンの向谷 実、倉田 信雄、ホッピー 神山、山川 恵津子らが参加を表明。そこからさらに声かけが広がり、日本の音楽シーンを司ってきた重鎮達が集結、出演ミュージシャンは総数40名以上となる「さよならヤマハ渋谷店コンサート」が企画されました。

 このコンサートでは、普段はあまり観る事が出来ないミュージシャンの組み合わせによるユニットでのアンサンブル、歴代のシンセサイザーとキーボーディストが総動員で演ずるセクション、このコンサートの為だけに、松井 五郎・作詞、山川 恵津子・作曲で特別に書き下ろされる曲など、今までの日本国内音楽シーンの中においても他に例を見ない・・・まさにヤマハ渋谷店44年の歴史、それとリンクし、リスペクトする幅広い楽曲の数々が繰り広げられるコンサートです。

 ヤマハ渋谷店閉鎖に手向けたこの動きに際して、ヤマハ関連からのご厚意も受けられリンクされた状況になり、ヤマハ銀座スタジオから2日間のリハーサルに向けたスケジュール調整、ヤマハミュージック東京 ART渋谷からYAMAHA CF ⅢS コンサート・グランド・ピアノなどの貸し出し手配、株式会社エピキュラスの音響グループからSRチーム構成など、まるで、何十年もかけて拡散していった多くの才能が、各々握りしめたパズルの欠片を渋谷に持ち帰って、ひとつの大きな絵に仕上げるかのようなヤマハ連携で、このコンサートに向かっています。

 さらに、ミュージック・トラック社のご協力で、ヤマハが1983年に発表した名器DX-7を軸とした、歴代のシンセサイザー群が用意され、往年のシンセサイザー・サウンドがSHIBUYA-AXに轟き、デジタル・シンセサイザーの原点から見つめてきた渋谷店に相応しい、そんなコンサートにもなっています。

 この、決して再演は行われない、最初で最後の、ヤマハ渋谷店と共に歩んできたミュージシャン達の決起による「さよならヤマハ渋谷店コンサート」・・・多くの人たちの記憶の中に、渋谷店の記憶と共に残るようなコンサートに、ぜひ足を運んでいただき、その目と耳で、渋谷店の歴史を私たちと一緒に思い返し、未来へ繋げましょう。

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これを読んで下さった音楽ファン、楽器ファン、そしてヤマハ渋谷のファン、皆さん是非足を運んで下さい。私、天童 淳がSR面で参加してレコーディングのサウンド・ノウハウも投入し、株式会社エピキュラス 音響グループと一緒になって、新しいサウンドをお聴かせします。

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チケットは、キョードー東京、他プレイガイドから、6,000円(ドリンク代別)で12/11より発売中。

出演者:
大澤 誉志幸 (Vo, Gt)、小坂 明子 (P, Vo)、サンプラザ中野くん (Vo)、中西 圭三 (Vo)、吉田 美奈子 (Vo)、ホッピー 神山 (Key) + 福岡 ユタカ (Vo)、坂本 朱 (Vo)、島村 英二 (Ds)、岡沢 章 (B)、後藤 次利 (B)、斉藤 英夫 (Gt)、椎名 和夫 (Gt)、古川 望 (Gt)、松井 五郎 (Lyric)、松下 誠 (Gt, Cho)、松原 正樹 (Gt)、倉田 信雄 (P, Key)、山川 恵津子 (Key, Cho)、氏家 克典 (Key)、篠田 元一 (Key)、福田 裕彦 (Key)、松武 秀樹 (Syn)、小川 文明 (Key)、向谷 実 (Key)、宮崎 隆睦 (Sax)、DJ TARO (DJ)、弦一徹グループ (Strings Section)

日時:2011年1月19日(水)18:30開場 19:00開演
開場: SHIBUYA-AX
チケット:キョードー東京、チケットぴあ、イープラス、ローソンチケット、CNプレイガイドで発売中
インターネット有料配信を予定しています。
詳しくは > 「さよならヤマハ渋谷店コンサート」公式サイト

14 Dec 10

ありがとう、ヤマハ渋谷店

ビートルズが日本武道館での来日公演を果たした1966年、日本国内は高度成長期まっただ中でした。そして同年11月12日、渋谷のハチ公口を降りてスクランブル交差点を渡って左側坂道の道玄坂の中腹より上に「日本楽器・渋谷店」がオープンしました・・・今から44年前の出来事です。

ヤマハ渋谷店開店前 (渋谷店所蔵アルバムより)

ヤマハ渋谷店開店前 (渋谷店所蔵アルバムより)


当時のヤマハ楽器関連の会社名は「日本楽器製造株式会社」で、その直営店と言うことから「日本楽器製造株式会社・東京支店・渋谷店」が渋谷店の正式名称ですが「ヤマハ渋谷店」として多くのミュージシャン、音楽愛好家、オーディオ・マニアなどから親しまれてきました。

尚、1987年に社名が日本楽器製造株式会社からヤマハ株式会社に変更され、株式会社ヤマハミュージック東京という組織に改編され「株式会社ヤマハミュージック東京 渋谷店」というのが1987年以降の正式名称になっています。

渋谷店開店前 (渋谷店所蔵アルバムより)

ヤマハ渋谷店開店前 (渋谷店所蔵アルバムより)


自分のプロフィールの冒頭には必ず書いている「ヤマハ渋谷店」、1982年に渋谷店3FにあるLMセンターへ録音とSR(Sound Reinforcement)のスタッフとして就職して1984年にテレビ朝日映像(株) 朝日サウンド・スタジオへ入るまでの2年2ヶ月程でしたが、ここで経験した事とここで出会ったミュージシャン・講師・スタッフとの仕事や会話・・・そのどれもが若かりし自分にとっての肥やしとなっています。

渋谷店開店時のテープカットの儀 (渋谷店所蔵アルバムより)

開店時のテープカットの儀 (渋谷店所蔵アルバムより)


1982年当時のレコーディング機材は、まだデジタル機器が驚くほど高額品だった時代で、海外製のEventide H949やams rmx-16などは、当時のアナログ機器群から比べると機能対費用的感覚から言えば、べらぼうに高額だったデジタル創生期でもありました。ちょうど最初のFM音源SynthesizerであるGS-1が発売された時期で、渋谷店2Fには生方さんによる音源プログラミング・エリアも有ったり、ピアノはショート・スケールながらもピアノ弦が張られピックアップで収音するスタイルの電気ピアノ、CP70/CP80が既に全盛時(Weather Reportのライヴ時にはJoe Zawinulも愛用して独特のサウンドを展開)、そのすぐ後には世界中を席巻したDX-7シリーズも発売され、録音/SRの現場ではそれまでの概念を急速に変えつつあった時期でした。両現場とも最新鋭のキーボード類以外は従来のギター、ベース、ドラムスなどのLM楽器で構成されているため、1980年代前半のヤマハに居た事によって、デジタル楽器と生楽器が融合された録音/SRに早い時期から慣れ親しめた事は、その後のエンジニアリングにとって非常に役に立った経緯があります。

開店後になだれ込んできたお客さん (渋谷店所蔵アルバムより)

開店後になだれ込んできたお客さん (渋谷店所蔵アルバムより)


渋谷店のLMセンターにあったマルチ・トラック・レコーダーは、TEAC 80/8 というハーフ・インチで8トラックのレコーディングが出来る機種でした。この機種はTom Scholtzのバンド「BOSTON」のデビュー・アルバムの録音で使われたこともあり、民生機ながら3M社の機種のようにパンチがあって太い音で録れたレコーダーでした。8トラックで足りるように録るのもLMセンターでの必須スキルでしたが、ミルキー・ママ、ウルトラ・ブレーカー(タメゴロー [G]と外山 明 [Dr] )というバンドの録音時にはトラック数がすぐに全然足りなくなって、2Fの売り場から80/8より新しめの8トラック・レコーダーを借りてきて、傷を付けないように慎重に扱いながら、もう一方のレコーダーへとバウンス・ミックスしながらトラックを整理して空きトラックを作って・・・また足りなくなると同じ事を繰り返して・・・1990年に出版されたBEATLES Recording Sessionという本で読むまでは「なんと原始的な方法だったんだ」と思っていたことが、ビートルズの本を読んだ時にSgt. Pepper’sまでの頃と同じ様な手法だったと気が付き、なぜか単純にとても嬉しかった記憶があります。

この当時にもアンジェラの兄貴は居ました (渋谷店所蔵アルバムより)

この当時にもアンジェラの兄貴は居ました (渋谷店所蔵アルバムより)


渋谷店1Fにあったライヴ・スペースのYOUNG STAGE(サザンオールスターズ、多くのJAZZミュージシャンらが出演)が1Fの奥に新しく出来たライヴ・スペース Doin’(ドゥーイン)に引き継がれて、シーナ&ロケッツ、ぴかぴか、などのロック・バンドや、ソロ・デビュー前の是方 博邦 バンド、PRISM、などのスタジオ系ミュージシャンのライブ、多くのアマチュア・バンド、大学のサークルによるライブなど、SRスタッフとしても多くの外部オペレータの仕事を見たり、自分らもそのような刺激の中から普通のSRとは違ったアプローチでSRに挑んだり、レコーディングと殆ど同じ様な解釈でのSRなど、是方さんがDoin’でのライヴを収めた卓アウトのカセット・テープをビクターのディレクターにデモ・テープとして持ち込んで、その結果レコーディングの話しがサクサクと進んだ・・・と是方さんから感謝されたり・・・など、ヤマハ渋谷店のDNAとしての「何でも普通のままいつも通りではダメ・・・何か常に新しいことへのチャレンジ精神」が録音/SRでも自分らのモチベーションになり過ごせた期間でもありました。

YOUNG STAGE (渋谷店所蔵アルバムより)

YOUNG STAGE (渋谷店所蔵アルバムより)


1976年から1986年まで開催されていた「EastWest」というイベントでは、池袋東ショップ/吉祥寺店/渋谷店、そして横浜店や千葉/埼玉など多くの店とバンドがしのぎを削ってのし上がってきて、関東甲信越決勝大会となる中野サンプラザでの決勝に向け、各店舗/ブロック大会毎にスタッフとバンドが一体となって自分らの所から優秀なバンドが出てくるようにサポートしていた時代。EastWest期間に入ると他店との店や地域を越えた協力体制が出来上がり、東京支店を核としたSRスタッフが構成され、ブロック大会〜決勝大会までは全スタッフ混合の巨大なSRチームが構成されていました。

まだオープン・リールが数多く並ぶ店内 (渋谷店所蔵アルバムより)

まだオープン・リールが数多く並ぶ店内 (渋谷店所蔵アルバムより)


渋谷店からは1977年に「サザンオールスターズ」がEastWestに出て、サンプラザの決勝大会では惜しくもバンドとしては賞は取れませんでしたが、その後ビクターからデビューして活躍の様は皆の知るところですね。1980年には河村 カースケ氏 [Dr] が所属していたバンド「ぴかぴか」が決勝大会でグランプリを獲りデビュー、そして女性だけで結成されたAORロックバンドの「ミルキー・ママ」も渋谷店から生まれ、同年レディス部門でグランプリを獲得。椎名 林檎のストリングス・アレンジなどで名を馳せている作曲家の斉藤 ネコさんも「サンセット・キッズ」の活動は渋谷店を拠点としていたり、と今でも活躍する多くのミュージシャンを輩出した所でもありました。

ズラッと並んだAG軍団 (渋谷店所蔵アルバムより)

ズラッと並んだAG軍団 (渋谷店所蔵アルバムより)


MINI MOOGを操作する店内 (渋谷店所蔵アルバムより)

MINI MOOGを操作する店内 (渋谷店所蔵アルバムより)


Web上で公開されている「 Vol.5:田中重徳さんを迎えて (全4回) |コメトーク|OffStageTalk 」を聞くと、1970年代初頭のヤマハ渋谷店で始まったミュージシャンとの深い繋がりとその絆には、林 立夫さんからの愛情こもった渋谷店に対する思いも加え、聞き応え有りました。

GibsonコーナーにはExplorer、Firebird、Thunderbirdが・・・ (渋谷店所蔵アルバムより)

GibsonコーナーにはExplorer、Firebird、Thunderbirdが・・・ (渋谷店所蔵アルバムより)


11Fから3Fに移転再開されたLMセンター (渋谷店所蔵アルバムより)

11Fから3Fに移転再開されたLMセンター (渋谷店所蔵アルバムより)


多くの人にとって故郷とも思える場所、ヤマハ渋谷店が2010年12月26日、残すところあと2週間で閉鎖となります。

今年の夏、Twitter上の渋谷店OGからの「渋谷店が閉鎖になるそうです」というニュースを聞き、8月5日付けのヤマハ株式会社発プレス・リリースを自分の目で見るまでは全く実感が湧かなかったこの話題も、この「 株式会社ヤマハミュージック東京 渋谷店閉鎖のお知らせ 」を読んだ途端に、愕然とした記憶は今でも鮮明に覚えています。

LMセンターの初期カウンター (渋谷店所蔵アルバムより)

LMセンターの初期カウンター (渋谷店所蔵アルバムより)


プレス・リリースを読んでから3ヶ月後の11月になるまでは、自分なりの解釈はあっても事の詳細がわからないままに過ごしつつ、Twitter上でシンセサイザー・プログラマー協会会長の松武 秀樹さんが旗揚げされた「渋谷店にお世話になったミュージシャンのみんな、集まって渋谷店へのお礼を何かやろう!」という掛け声の下「 さよならヤマハ渋谷店コンサート 」という具体的な形になってきています。

私が録音していたRM (渋谷店所蔵アルバムより)

私が録音していたRM (渋谷店所蔵アルバムより)


1970年代後半の渋谷店前 (渋谷店所蔵アルバムより)

1970年代後半の渋谷店前 (渋谷店所蔵アルバムより)


ヤマハ渋谷店OB/OGの多くの方と連絡を取るようになってから見えてきた事実などもあり、私も含め渋谷店出身のOB/OGにとっては8月5日のプレス・リリースから今日まで、12月のその頃には果たしてどんな気持ちになっているのだろうか?・・・というままにあっという間にその時期が差し迫ってきて・・・私もBlogに気持ちを残すつもりで書かせてもらいました。

1Fにはエレクトーン・ハウスが・・・Keith Emersonも来ただろう・・・ (渋谷店所蔵アルバムより)

1Fにはエレクトーン・ハウスが・・・Keith Emersonも来ただろう・・・ (渋谷店所蔵アルバムより)


1966年11月以降、道玄坂から多くのミュージシャンと音楽愛好家全体を暖かく見守ってきてくれたヤマハ渋谷店・・・今は「さようなら」という言葉より「ありがとう」という気持ちの方が大きくて、数年先になってみて、いつもなら当たり前のようにあったヤマハ渋谷店が道玄坂に見当たらないのをどう感じるか?・・・閉鎖までのあと2週間の間、ヤマハ渋谷店OB/OGの「お別れ飲み会」が2回ほど有りますが、その先輩後輩達と共に語れるだけ語ってこようと思います。

1966年11月の開店からちょうど44年目の2010年11月の渋谷店

1966年11月の開店からちょうど44年目の2010年11月の渋谷店



ありがとう、ヤマハ渋谷店・・・

Profile

プロフィール

1982年にヤマハ渋谷店でキャリアをスタート、1985年のStudio TWO TWO ONE 設立と共にエンジニアとして参加。その後Z’sへ参加し1990年よりフリーランスに転身。(Twitter ID = JacoTen2)

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